ガンダム補完『密会 アムロとララァ 』
とうとう。
ガンダム テレビ全43話を見終えました。
富野作品の中でも∀ガンダム、Gレコが好きな部類だったのですが、
原点であり唯一のガンダムをきちんと見ていなかった『にわか』です。
劇場版3部作でしっかりと話は完結しているし、
テレビ版は作画が危ういという理由で見ずに過ごしていたわけです。。勿体無い。
ただ、見始めると劇場版にはないエピソードにも濃いドラマが詰め込まれている。
そして、絵については愛らしく感じました。制作ヤバかったのかなぁなど妄想できますし。
やはり今見ても色合わせない輝きがあるのだなと再認識しました。
第31話「ザンジバル、追撃!」から宇宙に上がり、ビグロ、ザクレロとの戦闘が続き、
ニュータイプ・シャリアブルが操るブラウブロとの戦いでは初めて四方から遠隔狙撃(オールレンジ攻撃)され、
今では後発のガンダム作品などで当たり前のように見るビット、ファンネル攻撃ですが、やはり見せ方の演出が違う。
恐怖感があり、戦略的な兵器だと見えてくる。さすがです。
ララァとアムロの出会い、ニュータイプ同士の共鳴といった後半のドラマは映像を見ているだけでは、深く理解はできず。
ただララァという特別な存在(自分と同等のニュータイプ、分かり合えるはずの相手)を、自分の手で殺してしまう悲劇、ぐらで最終話のドラマまで見終えたのですが、それでも十分な感動があり、
作品の評価から劇場版へつながるという現実でのストーリーも含めてすごく胸が熱くなりました。
NHKで放送していた『ガンダム誕生秘話』、富野監督の自伝本なども読んでいたので余計に製作時の思いや熱意を知り、素晴らしい視聴体験になりました。
次は劇場版3部作を見ようかと思っていたのですが、
未読のまま置いていた 小説『密会 アムロとララァ』を読み始めました。
結果的には、いい順序でした。3時間ほどですぐ読めるし。
語られていなかったサイド3がなぜ独立に向かったか、ララァの過去、ニュータイプ同士の感応の言語化、アムロの父テム・レイの死、アニメ本編では語りきれない、ニュータイプ論の発生とその意味。など
一度見ただけでも感動したアニメを別視点からなぞる様に読み進めることができ、また違った楽しみ方を提供してくれています。
完璧な補完がなされている。
あとがきには、富野監督がなぜこの本を書くに至ったかの想いも語られている。
私も読みながらなぜ、この小説はガンダムが世にでた何年も後に書かれたのか、書いたのか、不思議に思っていたのですが、全て納得できました。
この本は間違いなくガンダムを補完して余りある『原作本』です。
アニメだけではしれないアムロ、シャア、そして二人の間で揺れるララァの心が魅力的に描かれている。
売春婦として生きてきた過去、そこからシャアと出会い、宇宙へ出るまでの流れ、しっかりとシーンが見えるようでララァのキャラクターがより一層、格式高いキャラに感じれました。
アムロは屈折した性癖が語られ、かなり男として生々しい感情が事細かに書かれている。男のたしなみとしてのマスターベーション、そんな文章、なかなか見ないです。これぞ富野文学。
ところどころ語られる、フラゥへの気持ちが切ない。
小説 p.161 ~ あたりからのララァの最期。ララァの心中。シャアとアムロに惹かれ、最後にアムロを選ぶまでをぜひ読んでほしい。
Kindleでも読めるので、これは必読の一冊です。
正直、終盤のアムロとララァのニュータイプ的な会話はファンタジーですが、まるで歌劇のようで、美しいドラマです。
アニメ本編を見終えたからこそ、このシーンの裏側ではこんな心中だったのかと発見がある、
そしてガンダム劇中の社会像が見えてくる。
漫画 THE ORIGIN については昔読みきったはずですが、やはりガンダムは富野監督が描いてこそだと私は思います。
とりとめのない感想ですが、『密会』については、文中で惹かれる文章が山ほどあり、ブログに書いておきたい。また書こうと思います。
終わらない、富野沼。最高です。